私が勤務していた金融会社の創始者は武蔵国川島郷きっての豪農の長男として生まれたが、「梅屋敷」の名を誇った家は人手に渡り、母や弟妹とも別れての生活を強いられた。
十一歳のとき、母から呼び出されて再縁話を聞かされ、「自分が大きくなって迎えに来るから、よその人にはならないでほしい」と精いっぱいの抵抗をした。
元一は十五歳の五月、遠縁にあたる内務大臣秘書官宅の玄関番兼書生として住み込み、掃除、使い走りなどもした。
翌年八月、株屋半田商店の丁稚として紺がすりに角帯を締め、前垂をかけた小僧姿で背中に行李と風呂敷包みを背負い、東京に向かった。
兜町は人使いの荒い所で、生き馬の目を抜くというきびしい町である。
丁稚になって四年目には売り買いがかりとして市場に出るようになったが、盲腸を患って手術をすることになり、このことが災いとなって半田商店をやめる。