この制度が申請主義で始動するため、制度に無知であるとか、面倒であるとかということもあるかもしれません。


しかし、権利としての生活保護費の支給をあえて拒もうとする「堅気の自前主義」が、この落差を創り出している要因であることは間違いないでしょう。


皮肉な見方をすれば、この「堅気の自前主義」が本当は支出しなければならない生活保護費の支出額をその分だけ少なくしている原因となっており、財政支出の抑制に役立っているともいえるでしょう。


・・・そして、おそらく、今日、日本型福祉社会の建設の論議でいわれる、「自立・自助論」も、国や自治体の政策当局が意図しているかどうかは定かではないですが、この生活態度と符合していることは明らかです。


さて、話しをボランティア活動にもどせば、日本社会で実際に活動するボランティアがなかなか増えないのは、なぜでしょうか。


自発・自前・無償を原則とする活動を自分の生活様式のなかに組みこみうる人が相対的に少ないということに主な原因があります。


しかし実は、この無料のサービス活動を受け容れることに対する人びとのちゅうちょにも、その一因があるのではないかと考えられます。


・・・つまり、サービスを受ける側が無料でサービスをしてもらっては悪い、心苦しいと考えていると同時に、いくらかでも代価を払うことによって非対称な関係を対称化したい、無料のサービスを受けることにともなう心理的負担から解放されたいという意識をもっているのではないか・・・。


これをどう考えるかです。

ここでいう「堅気の自前主義」とは、普通の人が世間で暮す日常行動の原則みたいなもので、それは・・・


1.正業をもち堅実な生計を営むこと


2.できるだけ他人様に迷惑をかけないような自前の暮しをすること


3.もし他人様に迷惑をかけることがあれば礼をつくし、しかるべきお返しをすること


・・・つまり、対人関係における貸借対照表上のバランスをつねに保ち、借りを放置しない生活態度のことであるということができます。


今日でも行われている義理返しは、この生活態度の形式化された慣行です。


お礼の気持ちを表すのに「品物に心を乗せる」という交際儀礼が依然として根強いのもその現れです。


この生活態度においては、他人様に、まったく無償で助けてもらうこと、あるいは面倒をみてもらうことに、ある種のうしろめたさ、ないしちゅうちょを感じ、それをできるだけ避けようとするのです。


福祉の分野にかぎってみても、例えぱ福祉国家の基幹制度としての生活保護の受給事態を数値でみると、つねに実際の受給者が受給資格者を下回りつづけています。


もう2月になってしまいましたね。


早いものです。


節分にはちゃんと豆をまきましたか?


わたしはまきました。


わたしは鬼役には絶対にならないことにしています。


そんなことはどうでもいいか。


今回のタイトルどうですか?「科学的な世界像」。


かっこいいですよね。


「科学的な世界像」というものは、人々が信じ、話題にはしますが、現実に独立の話題として教育される事はほとんどないものです。


科学教育のほんの入口の段階では、「科学的世界像」のある初歩的な面が語られます。


けれども、「科学概論」のカリキュラムは、OレベルとAレベルの、旧来の専門分野にそって、容易に分割されてしまうものです。


それ以上の学年には、科学教育に自然の全体的な科学的描写を教える場はありません。


物理学や化学の学生は、地質学や生理学については何らの教育も受けないのです。


医学部の学生は、行動心理学をちょっとかじるに過ぎません。


既存の専門分野に比して、大学での区分は少し狭いのかもしれないですね。


ある大学の物理学科では、天文学や宇宙論は決して取り上げられないでしょう。


また、別の大学では、金属やポリマーのような素材の物理的振舞いは説明されないかもしれません。


そういうことです。


では、アリーヴェデルチ。


今日はあったかいですね。


もう1月も半ばになってしまいました。


早いものです。


今年もがんばっていきましょう。


さて。


引き続き、科学の教育についての話をしていきますが、今回は大学での勉強について。


大学では、分野間の違いが少し誇張されています。


しかしだからといって、科学には自分たちの分野しかないなどといった教育がなされているわけではありません。


その逆に、科学の教師は、もっと大きな分野のメンバーであることに、何か誇りをもっているものです。


しかし、教育は高度に専門化しているのが普通なので、余り馴染んでいない科学分野については、ぼんやりとした観念しか持ち合わせていないものです。


中学・高校のどちらでも、生物の先生は物理学を良く知らないとあっさり認めます。


けれども、物理の教師となると、数学を少し良く分かっているので、生物を勉強しようとしてもうまくはいくまいと感じてはいますが、生物学の膨大な「諸事実」を軽蔑しているのが本音でしょう。


こういうものなのです。


沖縄ツアーなどに参加すればわかると思いますが、沖縄にはたくさんの民話や伝説があります。

国頭郡今帰仁村古宇利に伝わる話で、「古宇利島の島建て」というものがあるのでここで紹介します。

太古の神々は、古宇利島をつくると、そこに二人の男女を配しました。


二人は神が与えてくれる餅を食べて、新天地を走りまわって遊び暮らしていました。


しかし、しだいに知恵が目覚め、食物を節して貯え、不時のときの用意をして置くことを考えつきました。


神々はそれを知って愕然としました。


もう餅を与える必要がないことを悟ったのです。


それからの二人は、命をつなぐための食物を、額に汗して探さねばならなくなりました。


赤螺が食べられることを知りました。


木の実を選り分ける知恵も会得しました。


あるとき、海馬の交尾を見て交わりの道も知りました。


また、裸でいることに差恥を覚え、クバの葉で前をかくすようになりました。


古宇利島にある森の中には御嶽があり、そこに二個の燭骸が祀られてありますが、それこそ島建ての二人の男女のもので、すべての島民はその子孫だということです。


こんにちは。


今回も、科学の教育についてのお話です。


わたしは、どの専門分野も独自の地図を持ち、相対的に自己充足出来るだけの広さを持っていると思うのです。


その分野の境界を越える事なく、その内で長い間学生は勉強ができまし、研究者は研究をすることができます。


各人の領域は、他の科学分野とも境を接しています。


それについては、科学教育や科学上の経験で多少は知っています。


実際には、既存の専門分野の境界は、はっきりとは定義されません。


例えば、化学のある分野では、図書館の物理の本を調べなければならないことも多いでしょう。


化学のそれと反対側の領域では、どこから生物学が始まるのかが、やはり、はっきりしていないのです。


勉強していてそう感じたことはありませんか?



こんにちは。


わたしが科学に対してなみなみならぬ興味を持っていることをご存知でしたか。


知らないですよねそんなこと。


あるんです実は。


ここでは、旧来の科学教育で助長される科学に対する態度を扱ってみます。


この態度は、意図されて教えられるというより、暗黙の内にもたらされるものです。


科学主義への適切な対応は反科学主義ではなく、各々の場合に現実に問題となっている倫理的・哲学的・政治的問題を、もっと注意深くバランスさせて分析を進める事です。


こういう分析では、当該の科学分野の「妥当性」にかかわる必要はほとんどなく、その分野の教師とのかかわりがまずくなることは全くありません。


さて。


科学で何が分かるか?ということについて。


科学知識は、自然界の一つの描写です。


一つの科学の分野では、その描写のある一面が、つまり、対象あるいは現象のある限られた範囲の「地図」が教えられます。


科学教育における「妥当性」の本質は、この地図が非常に明晰、厳密で、各部分が結合しあい、その範囲内では、きちっと定式化されたものであれば、どんな問いにも厳格に答えられる・・・ということです。


これが科学教育における妥当性です。


いやー。


科学の教育についての話は尽きませんね。


一度じっくりでんじろう先生と語り合ってみたいものです。


今回も、科学の教育問題についての話をします。


自分が教えている当の科目について、教師が反対の発言をすると望むのは土台無理な話でしょう。


たとえば、物理の良い先生であるためには、物理学の価値にかなりの信頼を寄せていなければなりません。


しかし、だからといって、その人が全ての物理学の利用、例えば核兵器にも両手を挙げて賛成できなければならないということはないでしょう。


これはあまりにも偏った見方です。


また、他のすべての科学の分野は物理学より劣り、仮定の上とはいえ、遠い将来には皆物理学に還元されるかもしれないと主張しなければならないということでもないでしょう。


勉学に優劣はありません。


ある特定の専門分野が「妥当だ」と主張することと、そのほかの専門分野・知的立場・価値が、それにふさわしい場所ではやはり妥当であると認めることの間には、何ら必然的な矛盾はないのです。


イギリスの学校でドイツ語を教える人は、ドイツ文学やドイツ文化に深い愛着を持っているでしょう。


だからと言って、このことでドイツ史の中の罪悪や愚行に盲目になるとか、イギリス人は皆ドイツ語をしゃべったほうが良いのではないかと思い込むようになりはしないものです。


これは当たり前のような話ですね。


わたしがいかに科学主義者かわかっていただけたでしょうか。


科学主義者なのでこんなにアツく語るのです。


そしてもっとも大切なのはやはり教育でしょう。


科学主義は新しいものではなく、単に現在の科学教育システムだけの産物であるというのではありません。


わたしたちの文明にとって哲学や政治でいろいろな表現をするさいに、科学主義は自然なものです。


17世紀の近代科学の興隆以来、ヨーロッパ思想の重要な要素でした。


適用可能な範囲で、探求と議論という科学の方法の価値を根本から力説するのは実に素晴らしいことですよね。


もっと極端に理論に走った場合には、科学主義は本当に危険で、良識、普通の人間性と矛盾し、しばしば科学自体の堕落を招くものです。


何事も偏ってはいけませんね。


科学主義の問題点は、深い分析抜きで、科学に「賛成」の立場を前提とすることです。


この態度は、同じくらい不毛な、ナイーブな形の反科学主義を生み出します。


科学の役割、価値、用法等について満足出来る見解を作り上げようとする時に答えられるはずの問いが、すでに先取りされています。



みなさん科学の勉強してますか?


してないのなら、まずはでんじろう先生から入りましょう。


でんじろう先生は面白い科学をわかりやすく教えてくれます。


科学の学科や学部は、一貫性のある方法、学問として、また人間の営みの中の力としての科学の能力についてとぎすまされた感覚をもっていることが多いのです。


それにもかかわらずこの「科学についての教育の」責任を他に転嫁するのはあまり好ましくはありません。


科学についての教育から科学の教育を切り離すのを正当化することは出来ないのです。


これらは実際にも分離できません。


現実状況について何か良く考えた議論をしなければ、科学教育はいつでもいかようにもナイーブに、暗黙の内に科学に「賛成」の態度をとるのであって、科学の信頼性、扱う範囲、適切性へ条件をつけたり、限界を定めたりすることはないと思います。


実際に語る事よりは語らないことによって、「妥当な」科学は科学主義に深くおかされています。


それは疑問や、コメントなしに、科学が唯一の信頼すべき権威で、唯一の行動の基準であるべきだという、広く行き渡った信条を強めるのです。


これは科学に限ったことではありませんが。



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