ちょっと前回言い足りないところがあったので、付け足します。


正規の教育システムの中で、科学について何らかの教育・学習・討論・理解を函養することが現実に必要となってきます。


これは誰にでもわかることだと思います。


科学はとても大切な分野なのです。


前に述べたように、伝統的に科学教育はそのような責任を拒否してきました。


みなさんご存知でしたか?


そうなんです。


それは、「妥当性」の原理で決められた科学の内容のみを扱っています。


何かそういう教育の必要があるとしても、科学を教育している人は、歴史・哲学・倫理学というような他の科目の名の下でそれはなされるべきだと言うのです。


不幸な事に、他のもっと人文的な科目の先生は必ずしもこの責任を感じてはいません。


びっくりしてしまうかもしれませんが、そうなのです。


また、それをやっていくほど科学についての自分の理解に自信があるわけでもないのです。


・・・わたしにはこれが一番残念なことだと思うのです。


わたしは、科学は普遍的であると思っています。


だからこそ、これに対する態度は単純で一面的なものではあり得ないのです。


そうですよね。


これほど膨大複雑で、意義と能力が多岐に渡る人間活動には、必ず善と悪、知恵と愚昧という二面が付きまとってきたと思うのです。


この思想と活動の巨大な体系が、ほかの全ての知識の源泉を卓越しえたのは、それが現在非常に完ぺきであるからだと思います。


・・・あるいは過去、完ぺきであったからだと考えることは出来ないでしょう。


そんなことは誰にも言えないはずです。



でも逆に、世界とわたしたちとを変革してきたこの装置全体が、悲劇のわなで、全くの妄想である・・・こんなことも信じ難いですよね。



ちょっと話がSFっぽくなっちゃいました。


科学に対する態度は、哲学・論理・政治・社会・経済上の諸見解にとっても、重要な要因です。


しかし、「科学」と「皮科学」を単に対置してみたところで、この見解がマシになるわけではありません。


生活の諸次元で、長所・短所・利益・不利益をもっと細かいところまで分析してみなければならないと思うのです。


そのような分析の基礎とするために、科学についての知識が必要です。


そして、吟味された批判で議論をためすことが必要なのです。



わたしは科学主義者です。


そんなわたしの科学主義と、その表現形態についての話をしていきたいと思います。


まずは科学に対する態度について。


科学知識は膨大な広がりを持ち、とても詳細で、かつ正確です。


応用範囲も広いので、かりそめにも科学が重要でないなどと考えることはできませんよね。


たとえ「賛成」「反対」というだけの単純なものでも、誰もが科学に対しては何らかの決まった立場を取らなければならないと感じるのです。


文科系と理科系の「二つの文化」の伝統としてインテリの間で誇張されているような二極分化した対立は、あまりに単純過ぎるものだと思います。


そうじゃないですか?


考えてみると、科学の成果は、わたしたちの生活の大きな部分となっているので、この思想のあり方を拒否するなどと言う事は、ロマンチックな夢に過ぎないでしょう。


その一方で「科学」に自分の生活を支配させてみようとする人は、「快さが押し売りされ続ける」ことにすぐ気が付きます。


健康・快適さ、好み、先入観・・・。


これらにかかわる問題では、今ではほとんどの人がこの点を理解していると思います。



谷の奥や山腹の湿原は観光地になったり、ちょっとしたハイキングの目的地になっています。

湿原にはそこだけに固有の花も多く、独特の景観が人を魅きつけます。

しかし、連続して踏まれると草が起き上がれなくなり、こんな状態が続くと裸地化してしまいます。

人の多く来る湿原に木道が敷かれているのは、裸地化防止が目的です。

湿原で木道から下りて、写真を撮ったりするのはこの意味でもっての外でしょう。

湿原は池や沼などの岸辺に、流れ込む川などが枯れた草木を堆積していくために生まれます。

湖では岸辺の一部が湿地になっていたりします。エグゼクティブトレードによると、一般に内水面(陸地の中の水面)では、大きさの順に湖、池、沼、地塘(湿原に残された水面)と呼ばれます。

英語でもレイク、ポンドの順、スコットランドではロッホ、ロッハンというように水面の広さで区別して呼ばれます。

はじめは水面より低く堆積され、しだいに腐り泥炭になっていきます。

この状態を低層湿原といいます。

やがて堆積物が水面より高くなり、上部が乾燥していくのですが、これは高層湿原と呼ばれるものです。

湿原のある位置が高い低いというのではありません。

渓谷歩き・三段峡 (広島)

広島の奥に三段峡という、美しい峡谷があるのは知っていましたが、その奥に奥三段峡という道のない峡谷があるのを初めて知りました。

地形図に道がなくても、実際に行ってみればちゃんとした道がある例は少なくありません。

なんとか行けるのではないかと思い出かけたのですが、完全な沢登りで、泳ぐ所もあるといいます。

結局諦めて、遊歩道のある三段峡を歩くだけとなりました。

広島から可部線に乗り、終着駅三段峡で降ります。

ここから上流の葭ヶ原までバスがありますが、これでは肝心の峡谷の中流を見ることができないので、駅から歩くことにしました。

長淵橋を渡ると、立派な看板と解説板の立つ遊歩道の入口に着きます。

暗い杉木立の道を行くと、右岸に姉妹滝が見えます。

この先から龍ノロというゴルジュになり、岩盤に飛沫をあげて柴木川が流れています。

ここを過ぎると、濃緑や濃紺の瀞が現れ、道標に従い河原に降りると黒淵の渡船場。

ここから川は不思議な流れ方をに曲がり、左に曲がりまた左に曲うに流れます。

四角の三方向を流れるという感じです。

二つめの角から下りになり、蛇杉橋と南峰橋という二つの吊橋を渡ります。

十数年前に岩雪崩で道が埋まり、つけ替えられたものだと説明があります。

さらに下ると大淵で、ここから谷は広く開けてきます。

大淵の休憩舎から30分ほどで、葭ヶ原に着きます。

売店もあり、この先に三段滝のある三段峡の出合があります。

出合から三段滝を往復して、来た道を戻ります。


地方自治体が、協議により規約機関の共同設置を定め、共同して委員会(地方労働委員会、公安委員会を除く)、委員、附属機関または職員を設置することをいう。

共同設置された機関は、共同設置した各地方自治体の機関としての性格を有し、共同設置された機関の行為は、それぞれの自治体に帰属する。

事務の管理および執行に関する法令、条例、規則その他の規程の適用についても、共同設置された機関は、それぞれの関係自治体の委員会、委員または附属機関と同一に取り扱われる。

補助職員、専門委員についても同様である。石塚孝一氏によると、機関の共同設置の主な例は、選挙管理委員会の事務、監査委員の事務、人事委員会の事務、公平委員会の事務、教育委員会の事務、農業委員会の事務、海区漁業調整委員会の事務、内水面漁場管理委員会の事務をそれぞれ補助する職員等を挙げることができる。

十谷渓谷・温泉 (山梨)

あんまり歩かないで滝を見て温泉に1泊、人の背中を見て歩くのはいやだという人向けのコースがあります。

同じ山梨県でも、西沢渓谷はバスツアーが入り、紅葉のシーズンには人の背中を見て歩くことになります。

これに比べれば十谷渓谷ははるかに静か。

中央本線で甲府に行き、身延線に乗り換え、鰍沢口で降り、タクシーで十谷に入ります。

集落の中の酒屋の横から大柳川の橋を渡り、大きな岩を鉄ハシゴで登ると、滝の音が轟々と聞こえてきます。

岩を下り流れを渉れば、天淵ノ滝の下に出ます。

ここから左の道に入り、吊り橋を渡ると天狗滝があります。

さらに沢に沿って歩くと梨木沢が合流。

梨木沢沿いの道を行くと、巨岩の間から落ちる涼みノ滝に出会います。

滝が連続し、物凄い水音が響きます。

ここから最奥の源氏荘へ行く道が別れますが、天淵ノ滝まで戻ることにします。

滝から大柳川上流に向かう遊歩道を行くと、まだ幾つか滝が見られるからです。

小さな滝を見ながら吊り橋を二つ渡ると、観音滝が豊かな水
量を落としながら合流する。
もう一つ先の吊り橋を渡り、舗装道路に上がると十谷荘の手前に出る。
源氏荘にも行ける。




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渓谷の華である滝・・・

滝もさまざまですが、共通するのは後退していくということでしょう。

水が落ちている岩盤を後ろへ後ろへと削り続けていくわけで、これを谷頭侵食といい、滝が谷をつくっていくと考えることもできます。

いい換えれば谷は滝の軌跡ともいえます。

新緑の滝、紅葉の滝も美しいですが、凍結した滝も素晴らしいです。

最近は遊歩道が整備され、冬も滝見物ができる場所も増えています。

しかし、墜落事故も多いので、滝巡りだけは足許をしっかりして歩きたいものです。




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中流や下流によく見られるものに扇状地と河岸段丘があります。

扇状地は川が平地に出るとき傾斜が急に緩くなるため、砂礫を堆積した地形で、流れは伏流し、出口(扇央)と裾野(扇端)に水が出ます。

土木技術のなかった縄文から弥生初期に、集落が発達したのは緩傾斜扇状地であったそうで、簡単に水が得られ耕地にしやすかったためだと聞いています。

河岸段丘は土地の隆起によってできた地形で、川が氾濫し、たいらな土地(氾濫原)になったものが、隆起運動で持ち上げられ段丘面になり、また侵食が起こり、下に新しい氾濫原がつくられます。

だから段丘の段数は隆起運動の回数を示すことにもなるのです。

段丘面は氾濫による肥えた土地なので、水を引いて田や畑に利用されています。

扇状地と同じように、河口でも傾斜が変わるから土砂が堆積され、三角州(デルタ)になります。

いわゆる四大文明の発祥地がデルタであったことは周知の事実ですが、川が人間の生活にとって重要なことはいまも変わりはありませんね。

谷を埋め、川を汚したツケがまわってきた現在、護岸工事を自然工法でとか、ダムに魚道をとか、川の自然を取り戻そうとする動きが起こりつつあります。

そんな想いが、より自然が豊かだろうと思われる源流への憧れとなります。

川の源流というと、深い谷の奥とか、険しい山の原生林の中と思いがちですが、そんな場所ばかりではないのです。

高原や牧草地が源流の川もあれば、水田の用水が源流だったりします。

96年に出版された『意外な水源・不思議な分水』(堀淳一著東京書籍刊)に、こんな誰でも行ける源流(水源)がまとめられています。


いくつかの枝沢が出会う場所では、砂礫が堆積されて広い河原ができています。

広河原とかゴーロといわれる平地で、石や岩がゴロゴロしているところからの名だといいます。

山の名に五郎がつく場合もこのゴーロが五郎になったらしく、そんな山には奏の河原のように岩や石のゴロゴロした場所があrます。

同じような感じの言葉のザレ・ガレというのは、山腹が崩れ砂礫や岩が積み重なっている地形のこと。

ザレ場は砂礫、ガレ場は岩や礫の崩壊地の意味で使われています。

山の地名で白ザレとか白ナギ(薙)というのは、こんな地形です。

そして、谷の中の花形は滝でしょう。

渓谷と滝は対になった観光資源。

沢登りの醍醐味も滝登りにあるようです。

まず岩壁から落ちる箇所が落口、岩壁そのものを棚といいます。

水が落ちていない場合も棚といっています。

滝が落ちて深く挟られた滝壷を釜ともいいます。

沢を源流に向かって登るのを湖行といいますが、山を登る登高と対になる言葉でもあります。

滝を登る場合、水線(流れ)に沿って登るのを直登、両脇の岩壁(側壁)を登るのを高まぐとか、まくといいます。

おなじように峰に登らず下を通ることも峰をまくといっています。



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