ちょっと前回言い足りないところがあったので、付け足します。
正規の教育システムの中で、科学について何らかの教育・学習・討論・理解を函養することが現実に必要となってきます。
これは誰にでもわかることだと思います。
科学はとても大切な分野なのです。
前に述べたように、伝統的に科学教育はそのような責任を拒否してきました。
みなさんご存知でしたか?
そうなんです。
それは、「妥当性」の原理で決められた科学の内容のみを扱っています。
何かそういう教育の必要があるとしても、科学を教育している人は、歴史・哲学・倫理学というような他の科目の名の下でそれはなされるべきだと言うのです。
不幸な事に、他のもっと人文的な科目の先生は必ずしもこの責任を感じてはいません。
びっくりしてしまうかもしれませんが、そうなのです。
また、それをやっていくほど科学についての自分の理解に自信があるわけでもないのです。
・・・わたしにはこれが一番残念なことだと思うのです。
わたしは科学主義者です。
そんなわたしの科学主義と、その表現形態についての話をしていきたいと思います。
まずは科学に対する態度について。
科学知識は膨大な広がりを持ち、とても詳細で、かつ正確です。
応用範囲も広いので、かりそめにも科学が重要でないなどと考えることはできませんよね。
たとえ「賛成」「反対」というだけの単純なものでも、誰もが科学に対しては何らかの決まった立場を取らなければならないと感じるのです。
文科系と理科系の「二つの文化」の伝統としてインテリの間で誇張されているような二極分化した対立は、あまりに単純過ぎるものだと思います。
そうじゃないですか?
考えてみると、科学の成果は、わたしたちの生活の大きな部分となっているので、この思想のあり方を拒否するなどと言う事は、ロマンチックな夢に過ぎないでしょう。
その一方で「科学」に自分の生活を支配させてみようとする人は、「快さが押し売りされ続ける」ことにすぐ気が付きます。
健康・快適さ、好み、先入観・・・。
これらにかかわる問題では、今ではほとんどの人がこの点を理解していると思います。
渓谷歩き・三段峡 (広島)
広島の奥に三段峡という、美しい峡谷があるのは知っていましたが、その奥に奥三段峡という道のない峡谷があるのを初めて知りました。
地形図に道がなくても、実際に行ってみればちゃんとした道がある例は少なくありません。
なんとか行けるのではないかと思い出かけたのですが、完全な沢登りで、泳ぐ所もあるといいます。
結局諦めて、遊歩道のある三段峡を歩くだけとなりました。
広島から可部線に乗り、終着駅三段峡で降ります。
ここから上流の葭ヶ原までバスがありますが、これでは肝心の峡谷の中流を見ることができないので、駅から歩くことにしました。
長淵橋を渡ると、立派な看板と解説板の立つ遊歩道の入口に着きます。
暗い杉木立の道を行くと、右岸に姉妹滝が見えます。
この先から龍ノロというゴルジュになり、岩盤に飛沫をあげて柴木川が流れています。
ここを過ぎると、濃緑や濃紺の瀞が現れ、道標に従い河原に降りると黒淵の渡船場。
ここから川は不思議な流れ方をに曲がり、左に曲がりまた左に曲うに流れます。
四角の三方向を流れるという感じです。
二つめの角から下りになり、蛇杉橋と南峰橋という二つの吊橋を渡ります。
十数年前に岩雪崩で道が埋まり、つけ替えられたものだと説明があります。
さらに下ると大淵で、ここから谷は広く開けてきます。
大淵の休憩舎から30分ほどで、葭ヶ原に着きます。
売店もあり、この先に三段滝のある三段峡の出合があります。
出合から三段滝を往復して、来た道を戻ります。
中流や下流によく見られるものに扇状地と河岸段丘があります。
扇状地は川が平地に出るとき傾斜が急に緩くなるため、砂礫を堆積した地形で、流れは伏流し、出口(扇央)と裾野(扇端)に水が出ます。
土木技術のなかった縄文から弥生初期に、集落が発達したのは緩傾斜扇状地であったそうで、簡単に水が得られ耕地にしやすかったためだと聞いています。
河岸段丘は土地の隆起によってできた地形で、川が氾濫し、たいらな土地(氾濫原)になったものが、隆起運動で持ち上げられ段丘面になり、また侵食が起こり、下に新しい氾濫原がつくられます。
だから段丘の段数は隆起運動の回数を示すことにもなるのです。
段丘面は氾濫による肥えた土地なので、水を引いて田や畑に利用されています。
扇状地と同じように、河口でも傾斜が変わるから土砂が堆積され、三角州(デルタ)になります。
いわゆる四大文明の発祥地がデルタであったことは周知の事実ですが、川が人間の生活にとって重要なことはいまも変わりはありませんね。
谷を埋め、川を汚したツケがまわってきた現在、護岸工事を自然工法でとか、ダムに魚道をとか、川の自然を取り戻そうとする動きが起こりつつあります。
そんな想いが、より自然が豊かだろうと思われる源流への憧れとなります。
川の源流というと、深い谷の奥とか、険しい山の原生林の中と思いがちですが、そんな場所ばかりではないのです。
高原や牧草地が源流の川もあれば、水田の用水が源流だったりします。
96年に出版された『意外な水源・不思議な分水』(堀淳一著東京書籍刊)に、こんな誰でも行ける源流(水源)がまとめられています。